2005年03月01日

The episode of lost journey #4


【「The episode of lost journey #3」からの続き】

 ミナージョに到着すると、「列車行き違いのため、ここで少々停車します」という車掌の声が流れた。
「私たちも降りてみましょうか」それを聞くと青年は云った。
「だめです。ドアが開きませんから」私が答えると、彼はがっかりしたようで、うつむいてしまった。やがてまもなくホームの反対側に、上り列車のヘッドライトが見えた。
「軽便鉄道の、今日の終わりの列車だな」青年がつぶやいた。
「そうです。上りの最終です」私は持ってきた時刻表の写しを見て、答えた。すると私たちの列車が動き出し、上り列車とすれちがった。見ると向こうの列車も、ずいぶんがらんとしているようだった。
「ああ、あんなに大きなホッパーがありますよ。反対側をご覧なさい」
 青年の声にうながされて、列車の左手を見ると、鉱石の積み出しの設備らしい、大きな櫓の骨組みのような建物があった。夜の小雪の中、それは何かギリシアの神殿のようにも見えた。
 それから列車は、どんどんと走って行った。たぶんもう下り坂ばかりなのだな、と私が思っていると、
「ええ、このへんからは下りです。何せこんどは一ぺんに、リンプウ海岸の海面近くまで下りて行くんですから、容易じゃありません。そら、まただんだん速くなったでしょう」と云うと、まもなく「キーン、キーン」という音が聞こえ、列車がブレーキをかけて減速しているのも分かった。
 それでも列車は、どんどん下りて行った。崖のはじを列車が走る時など、人家の灯が明るく下に広がっているのが見渡せたりした。このころには雪も稲光りも、ぴたりと止み、私はだんだん心持ちが明るくなってきた。そして、ツェルヴォイを列車が通り過ぎた時などは、ホームに小さな丸太小屋のような待合室があるのを見て、思わずほうとつぶやいた。
「長らくお疲れさまでした。まもなくラ・スーダ・クルーツォです」車掌の声が響いた。外の明かりの数も次第に多くなり、列車はすっかりラ・オツェアーノの街に入っていた。まもなくしてラ・スーダ・クルーツォに着き、ホームを見ると、いったいどこに乗っていたのか、他の乗客たちがぱらぱらと下りていくのが見えた。
 駅を出て短いトンネルに入り、それを抜けると列車は道路と並んで走った。すると青年が、
「この道もずいぶん広くなりましたね。前はもっともっと、狭かったように思います」と云ってから少し考え、
「おや、ちがう。線路はもう少し街並みの近くを走っていましたよ。ああ、線路を少しだけこちらに寄せたから道が広くなったように見えたんだ。きっと、そうだ。じつはさっきミナージョの駅を過ぎてからも、何か以前とはちがう所を走っているように感じていたのです」と云った。そこで再び車掌の声がして、「まもなくヴェルタヴェントです」と告げた。

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 ヴェルタヴェントに列車が停まると、さっきのラ・スーダ・クルーツォよりも、大勢の乗客が下りていった。その中で母親に連れられた小さな子供が、ホームに降りたまま、そこで列車に向かって手を振っていた。その子は列車が動き出しても、しばらくの間そうやって手を振り続けていたが、やがて母親に連れられて帰っていった。
「ああ。ようやくラ・オツェアーノですね。じきノーキエネ川を渡りますから、その先はもう駅です」青年はシートの上の帽子を手に取って、被った。
「さしずめ今夜あたり、オンドクレストイの海岸や寂光ヶ浜はきれいな満月に照らされているのが見えるかも知れませんよ。そうだ。お近づきにしるしに、名刺を差し上げましょう。採石工場に勤めていた時の名刺を、ポケットに入れたままでしたから」< 青年はそう云ってポケットに手を入れ、名刺を探した。しかし、なかなか出てこないようすだったので、私は先に自分の名刺を出して、彼に渡した。それからようやく彼も名刺が見つかり、私に差し出した。
 ところが、それは受け取って見ると、一面黒い唐草の模様の中に十字ばかり印刷された紙切れだった。それを見た瞬間、私はなぜだかその紙切れに吸い込まれていくような気がした。
 ……私は急いで顔を上げた。が、そこにはもう青年の姿はなく、ただ紫色のシートがあるばかりだった。私は鉄砲玉のように立ち上がって、車内をぐるりと見まわし、デッキの方にも行ってみた。けれども青年の黒い外套も帽子も、あのセロのケースさえも見つけることはできなかった。その時、列車は鉄橋にさしかかり、「お疲れさまでした。まもなくラ・オツェアーノです」と車内放送が告げたのだった。

 ラ・オツェアーノの駅からは、チェールアルコと同じように列車の進む方向が逆になる。そのため列車は、この駅でしばらく停車した。ホームで飲み物を買い席に戻った私は、窓辺の隅に小さな黒い手帳が置いてあるのに気がついた。私はとっさに青年の忘れ物だと思った。
「この手帳には彼の連絡先が書いてあるだろう。それならそれを確かめて、この手帳をあとから送ってあげればいい」
 他人の物をだまって見るのは少し気がひけたが、思いきって手帳を開いて中を見た。その紙面には詩か何かの文章がびっしりと書きつけられていた。住所のようなものはないかと頁をめくってみたものの、「K・M」という名前のイニシャル以外に、青年の連絡先のようなものは見当たらなかった。
 やがて列車はラ・オツェアーノを発車し、それからは各駅に停まって行った。そしてオンドクレストイを出ると、パシフィカ海の洋上に白い満月が浮かび、こうこうと夜の海原を照らしていた。それはじつに美しい光景だった。同時に、あの青年の人懐っこそうな笑顔が私の心の中に浮かんできた……。

 それからちょうど一週間後である。
 東京へ戻った私の手元には、あの日チェールアルコ駅で写したSL列車の写真が何枚か残っている。その中のピンボケの一枚に、ホームの人だかりの奥の方を黒い外套を着て帽子を被り、下をうつむいて歩く男性の姿が写っている。その姿はあの青年と似ているようにも見えるのだが、ぼけてぼんやりしているために、はっきりとは分からない。そして、青年から別れ際に受け取ったあのおかしな紙切れも、彼のイニシャルが記された小さな黒い手帳も、そのあとの旅の途中、どこかで失くしてしまったようで、鞄のどこを探しても見つからなかった。

*Inspired by the works of Kenji Miyazawa.
posted by Yasuhiko Kambe at 19:49| Comment(0) | Episode | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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