2005年02月28日

The episode of lost journey #1


 おととしの冬の日のことである。
 みごとな夕空が嘘のように、そのあと大雪が降り出してきた。その日特別に運転されて多くの人を見物に集めたSL列車は、とうにディーゼル機関車に牽引されてモリーオへ帰り、チェールアルコの駅は再び静かになってしまった。私はモリーオから来る急行リンプウ号に乗ってミヤークへ向かうため、列車の来るのをホームで待ち続けていた。
 やがて、モリーオの方向から汽笛が聞こえ、急行がやって来た。緑とオフホワイトのブルカニロ系気動車が、雪まみれになりながらホームに着いた。私は一両目のドアから、車内に乗り込んだ。
 車内には他の乗客の姿はなかった。二両目の方も見てみたが、座っている人の頭が数えるほど見えただけだった。
「こんなに空いているのは、めずらしいな。それとも、新幹線やまねこ号のダイヤでも乱れていて、モリーオでの乗り継ぎが間に合わなかったのだろうか」少し不思議に思いながら、私は席を選んだ。そして、車両の真ん中あたりの席に荷物を置き、シートを回転させた。そう、チェールアルコからは列車の進む方向が、逆になるからだ。当然、シートは向かい合わせになった。
 いつもだと次のステラーロから乗ってくる人のことも考え、向かい合わせになった片方のシートも回転させておく。が、この日はあまりに客が少なかったので、そのままにしておいた。私はシートに座り、発車の時間を待った。
 窓からぼんやりホームを見ていると、いつのまにか改札脇の鉄柵のところに、黒いコートを着て古びた帽子を被った青年が、立っているのに気づいた。彼の服は雪だらけで、駅まで傘をささずに歩いて来たようすだった。おまけに、セロか何かの大きな楽器のケースまで抱えている。その後、青年は私のいる車両に乗り込んだように見えた。
 ……気がつくと、青年はいつのまにか私の向かいのシートに腰掛けていた。よく見ると服も帽子も、そして楽器のケースも、濡れてはいるものの、ひどい雪の中を歩いてきた割には、それほどでもない。たぶん、途中でタクシーを拾って来たのだな、と私は思った。
「失礼ですが、何だってそんな大きな物を、きょうは持っていくのですか」私は青年に尋ねた。彼はちょっとやつれたような顔をしていたが、人懐っこそうな細い目に笑みを浮かべて云った。
「ええ。実は、これからラ・オツェアーノまで行くのです。あすこの観音さまにセロを披露しにおうかがいしようと思いまして。それで今日は、ぜひともこれを持って行かねばならなかったのです」
「これから、ですか」
「ええ、これからです。わたくしは病でずっと床についておりました。観音さまが建てられたと聞いて、一日でも早くうかがわなくてはと思っていたのですが、なかなかできなくて。それできょうは、ようやく行けるものですから、大変うれしいのです」
 ラ・オツェアーノに着くのは夜中ですよ、と云いかけて私はやめた。そして、見るからに純朴そうな青年の顔を見て、こう考えた。彼のかかっていた病というのは、ひょっとして心の病なのではなかろうか、と。
「ああ、ラ・オツェアーノの観音さまのことを、あなたはご存じなのですね」
「ええ、まあ」
「三十三観音のうちの魚籃観音の像です。魚を抱かれてましてね。海の安全を守られている、それは尊い観音さまなのです」
「はあ、そうでしたか」
「あっ、初めてお会いした方なのに調子に乗ってしゃべりすぎました。どうか許してください。御仏にかかわることとなると、どうも熱が入ってしまう。この前も、それで友人から忠告されたばかりです」青年は恥ずかしそうに苦笑いをしながら、頭に手をやった。
「悪い人物ではない。ただ少し純粋すぎるだけなのかも知れないな」私はそう思った。
 そして、列車はゴトリと動き始めた。

street.jpg

 右手の車窓には、チェールアルコの街が広がっている。明かりがあちこちで灯り、夕闇の中に宝石を散りばめたようにも見える。
「おや、軽便鉄道も私が伏せているうちに、だいぶ変わったんだな。前はもっと城の方を通っていたし、たしかトーヤガーキという駅もあった。それにこの汽車、石炭を焚いていない……」青年は車窓を見ながら、ひとりごとのようにつぶやいた。
「駅ってぜんたい、いつごろのことをこのひとは云っているのだろう」私は青年の言葉が少し気になったが、何かめんどうに思えて問いかけなかった。
 やがて川にさしかかり、小さな橋がラ・オツェアーノ線の鉄橋よりも、少し下流の方に架かっているのが見えた。
「この川のもっと下流の方、キタカムヤ川と合流したちょっと先に、私のひどく気に入っている場所がありましてね。私は、そこを、あんぐれいす海岸って呼んでいるのです」
「あんぐれいす海岸、ですか」
「ええ。川岸に近い川底が泥岩になっていて、それが英国あたりの白亜の海岸に似ているようなものですから、そう名づけたんです。夏の晴れた夕方なんかに行くと、川底が青く光っているように見えて、それはきれいです。そこから遠くに軽便鉄道が走って行くのが、まるで幻燈のように見えたんですが、今はこんなに路線が変わってしまいましたから、もうそんな風には見えないかも知れません」青年はそれを、心底から残念がっているようだった。
 列車はヒエノーキの田園の中を進んで行き、ラ・マールボルドを通り過ぎた。そして右手には小高いコオーシ山が、だんだんと近づいてきた。
「ああ。このへんになると、ほとんど変わっていない。前のまんまですよ」
「そうですか。それはよかった」
 と云っても私は、昔のラ・オツェアーノ線をこの目で見たことなどなく、ただ青年の言葉に頷くより他なかった。
「この山はそんなに高くもなく、姿かたちもふつうに見えますが、これでなかなか尊い山なのです。私など経を埋めるべき山だとさえ考えているのですよ。じっさい、チェールアルコの街を考えると、ちょうど北東の方角にあります。つまり、鬼門です。そんなとこに、この山が立ちはだかって街を守っているのですから、チェールアルコの人は、もっとあの山を敬うべきなのです」
「はあ。鬼門ですか」
私の気のない返事に、青年は強く念を押すかのようにくりかえした。
「そう、鬼門に当たるのです。いや、いけない。また、熱が入ってしまったようで、どうもすみません」彼はかしこまって、私にあやまった。
「いえ、いいんです。お気持ちは、まあ分かりますから」
「そういっていただけると、じつにどうも恐縮します。ああ、ご覧なさい。キタカムヤ川です」
 列車はキタカムヤ川を渡るところだった。車窓を見ると、川岸や遠く橋に灯る明かりが、雪の中で青い硝子細工のようにきらめいていた。
 鉄橋を渡り終えると、列車は「経を埋めるべき山」と青年が云ったコオーシ山の麓を進んで行った。途中、その山の神社のものらしい、りっぱな鳥居の傍らを通った時、青年は姿勢を正しくして頭をぺこりと下げた。私はその敬虔な姿を見て、何もしていない自分に、なぜだか少し恥ずかしさを感じた。そうして、列車はステラーロに到着したのである。

【「The episode of lost journey #2」へ続く】
posted by Yasuhiko Kambe at 20:23| Comment(0) | Episode | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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